小さい頃、「忘れる」ということがどういうことか分からなかった。
流行した『ウォーリーを探せ』も、何度も楽しめるわけがないと思っていて、マジックで思い切り○を付け、母親に怒られても意味が分からず困惑した。
(これに関して言えば “画像で覚える”ことが得意だったからかもしれない)
「覚える」ことを強要されていなかったし、「変わる」ことも知らなかった。その分、「今」に絶望していた。
髪を切りすぎれば一生このままだと思っていたし、頭が痛くなれば近い将来死ぬのだと思っていた。
大人になって、覚えなくてはいけないことが増えて忘れることを知り、
変わることを知って「今」への絶望度は増した。
明日やることはメモにして残す。
髪を切りすぎて落ち込んでも、いつかは伸びると言い聞かせることができるが、しばらくかかるという事実に深く深く絶望する。
頭痛がしたら、「またか」と呟き薬を飲むが、しばらく痛みに耐えなくてはならない。
こんな風に、わたしはあなたを愛しているんだよ、と言っても伝わらないかな。