キャロットラペをサンドイッチにするときにと思って買ったオリーブの瓶の蓋が開かないまま、体感で3年が経った(実際は2週間弱)。
Tさんに開けさせるわけにはいかないし(手首に何かあったら仕事に差し支える、それでも開けようとすることが分かっているので基本隠しておく)、
ネットでいろいろ調べてやってみたが全く開かず、未来になんて期待できるわけがないだろうという気持ちになる。

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湿気にすべてのやる気を、魂を持っていかれた。
天気とラインのやり取りで察したTさんが、コンビニのショートケーキとポテトチップス、ネギトロ巻きを持ってやってきた。わたしが調子が悪いときに欲するもの3点セット。
ふわっと抱きしめて、たくさんキスをしてくれた。
説明がとても難しいのだけれど、こういうときのTさんのハグやキスには偉そうな感じが微塵もない。上からの「よしよし」「いい子でちゅね~」みたいな感じがない。
これがなかなか難しいということを、わたしは知っている。
「もうちょっと眠る?」
「うん」
「横で仕事していい?」
「うん、いて欲しい」
「うん」。
タオルケットをふぁさぁと掛けてくれて、わたしはとても良い夢を見た。

テレビ朝日のテレビドラマスペシャル『スイッチ』を見た。

あるシーンが素晴らしいなぁと思っていたら(前回日記参照)、監督がすでに言及していた。

以下転載。

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「10分くらいの長いワンシーンで、本番中に阿部さんがアイスペールの氷を松さんのグラスに入れようとして上手くいかないというちょっとしたハプニングみたいなことがあって。カットかけようか迷ったんですけど、この2人だったらどう乗り切るか見ていたら、確かにこの2人のキャラクターだったらこうするだろうなという説得力のある動きで乗り切ってくれて。さりげない動作なんで普通に見ていたら自然に見落とすほどにやってのけてるんですけど、その自然さがすごいと思いました。

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そしてぐるぐると考えた。

そもそも「テレビドラマ」の中に【舞台的な要素】を発見して「素晴らしい」と思うのは、どういうことなんだろうか、というかどうなんだろうか。

監督が言うような「この二人だったらこうするだろう」が、役者の中でも前提となっていることが前提、という世界で成り立っているのが「舞台的」なことであるとして、台本以外のハプニングを排除し成り立つ世界が「ドラマ的」ということなんだろうか。

昔からよく言う「映画は監督のもの、ドラマは脚本家のもの、舞台は役者のもの」ということについて、の話になると思う。

(テイクを重ねられる、編集ができるからこそ)「そうならざるを得ない、それを良しとする」としていることに対して、「(それを)超えたなにか」に感動するというのは、なんだか違うような気がするというか、傲慢な気がするというか、なんというか。

引き続き、考えてみたい。


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パン屋さんでサンドイッチを買ったら「よく手を消毒してから食べてくださいね」「暑くなってきたから早めに食べてくださいね、保冷材も入れときますね」などなど、言葉は悪いがクソバカ丁寧に説明を受けた。

「全員にここまで説明するなんて大変だなぁ」と思っていたら、同僚は何も言われなかったとのこと。

「手づかみでばくばく食べそうだったのでは」「子供だと思われたのでは」などと言われたい放題だったが、マジでなんでわたしだけ……。

Tさんにこの話をしたら大爆笑で、その理由も皆目見当がつかなかった。

経験上、やる気が200パーセント以上ないとやってはいけない「お風呂の床のタイル張り」を100パーセントくらいでやり始めてしまい、案の定な仕上がりになってしまった。
「味があっていいじゃない」なんて言ってくれそうなのは母親ぐらいのもので、しかもタイルが2枚足りなかった。
丁寧に見えるなにかで取り返す必要があると感じ、慌てて玄米を浸水させ、冷凍してあった鯖を解凍、代引きの料金をお釣りのいらないようにきっちり用意した。

代引きで買ったものは無印良品のカーディガンで、注文して届く間に2,000円も安くなっており、悶絶したいわくつきのものだ。送料負担で返品、注文をし直しをしても1,000円以上は戻ってくる計算になるけれど、手間と到着までの時間を考えてこのままで良しとした。
メンズのSで腕は少し長いが、丈はバランスがとりやすいのと、軽くて可愛い。これ以上安くなったら色違いを買うのもありかもしれない。

タイル、玄米、冷凍、代引き、手数料、色違い、こういうことが「生活」だ。

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最近は20歳のときに母に買ってもらったティファニーのブレスレットと、恋人に買ってもらったピンキ―リングをつけている。
20年前とわたしが同一人物だと強制的に思い出させられる。

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同じものばかり作ってしまう。
キャロットラペ、無限ピーマン(ツナとピーマン炒めただけ)、雷こんにゃく、きゅうりとなすの辛子漬け、味付けたまご。
刺身用のサーモンが安かったので半分は塩昆布で和え、半分は軽いフライにしてサンドイッチにして明日のお弁当にした。

ご飯は炊いて冷凍してあるし、味噌汁も作って冷蔵庫に入れた。

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外からの風が、蚊取り線香の香り付き。

木村拓哉主演のドラマ「BG」の特別版を見た。
斎藤工が拓哉に遠慮してる?ってくらいかっこ良くなかった(のが良かった)。
剛力彩芽と同じでケバいくらいのヘアメイク、スタイリングの方が似合うんだろうな。

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もらった芍薬が蕾のまま逝ってしまいそうで、写真を見せつつ花に詳しいパートさんに相談。
「緑の萼のところを剥くようにして、手伝ってあげると咲くようになるよ」とのことで、「早く帰って剥きたい」ということで頭の中がいっぱいになった。

またセルフでヘアカラー。自分で切らなくなっただけで進歩だと思いたい。
少し暗めになってしまったが、ブリーチしているからすぐに明るくなるだろう。
それは分かっているけれどなんだか落ち着かずに今日もまたやるか、と思っていたが、仕事帰りに隣の部署の女の子3人が「髪色素敵です」「何色っていうんですか」「似合ってます」と声を掛けてくれて落ち着いた。

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とにかく暑くなって湿気があって、身体がふわふわしている。
体調が悪いことなんていつものことだが、いまだに死ぬこともコントロールすることも出来ずにいるなんて、なんてぬるい地獄なんだろう。
ここはこの世だと思っていたけれど、この世とあの世の境だったのか~と思うと納得。
そろそろあの世側の門番に見つかりそうな気がして別人ですよアピールをするために、初めてすっぱムーチョを買って食べて、CCレモンを飲んだ。

 

どんな夏になるだろう。

よくある悩みは、よくあることだからと軽く扱われがちで、だからこそ解決なく今まで来てしまっているんだと思う。
芸能人の不倫報道に関して考えることは、軽く扱われて傷ついたり悲しんだ人たちが「やんややんや言っても良い気がする」芸能人のそれに一気にスパークしているんだろうな、ということだ。
浮気や不倫をされたとき、最初は悲しみに引っ張られがちで、怒れるようには時間がかかる。
「わたし、もっと怒っても良かったんだ」と気付いたときには話を聞いてくれる人がいなかったりする。
他人のことをとやかく言うな、というのはもはや通じないんだろう。他人事じゃないから。
(だとしても、世界に対しては黙っていればいいのにとは思うし、そもそも報道の仕方には疑問を持っています)

"よくあることじゃん、まだ言っているの?、そんなことされてまだやり直そうとしているの?"
あのときサキは絶対にこう言わなかった、本当にありがたかったと友達に言われ、そうか、世の中は本当に地獄だな。

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毎日毎日思うことがたくさんある。
わたしは仕方のないことなんてひとつもないと思っているし、全部欲しいし、可愛くなって世界征服したいよ。