久しぶりに友人2人とわたしで会い、たくさん喋った。
「サキは最終的に自分を信じている感じがするよ」と言われ、反応として合っているのかは分からないがとても照れた。
「不健全なのに自傷をしない感じがとてもあるね」
「あ、それはそう、わたしね、調子悪くなることが一番怖いし嫌なの。だからしない」
「なるほど!」
「小さい頃からアトピーだったし、体力もないし、自分が快適でいることにすごく執着があるんだよね、だから絶対死ねる自殺はあり得るけど、自傷はないと思う」
「超納得」
「お酒もさ、飲むと調子悪くなるのが嫌なんだよそれだけ」
「超納得」
「ただただ、快楽主義者なのかも」
「超納得」。

コンドームみたいなパッケージのワイン(ノンアルコ―ル)を飲む。とても美味しい。
わたしはずっと「酒も飲めないでよく生きてこれたな」と思っていたけれど、
それは間違いで「酒が飲めないから生きてこれたんだ」ということがまた実感を伴って分かった。


身体についてよく考える。
身体性がないもの、排除した考え方がどうしても受け付けないのは、自分の存在は身体ありきだという実感があって、前提としているからだろう。

それを上記の友達は感じ取ってくれたのだと思う。

そう考えれば「セックスに重きを置きすぎる」は当然の結果だな。

ある人に「わたしはこれからも恋愛もしたいしセックスもしたいよ」と言ったら「だったらもっと焦らなくちゃ!いくら可愛くて若く見えても、どんどん出会いも減っていくよ」とクソリプみたいな返事が来て心底驚き、すみやかにブロックした。