わたしは長い目で自分を見る、ということをしてこなかったな。
それは、つま先を綺麗にのばす、より多く回転する、脚を高く上げる、ダンスにそういう技術を求めず「いまの自分の踊り」にしか興味がなかったことに、何となく似ている。

すぐに見たくなってしまう、すぐに欲しくなってしまう。白か黒か知りたくなってしまう。即断しかできない。

「来たらすぐいる?」(押尾学)だな。違うけど。
いつか想像した未来なんてないから、こんなはずじゃなかったとも思わない。気が狂いそうになったら眠る、を繰り返してきただけだ。
それだけで40年が経つのだから、生きるには長いし、いますぐ死ぬには短いのかもしれない。
人の歴史ごと愛したりするくせに、自分には今しかないと思うのは、我ながら傲慢だと思う。
絵の具が乾くのを待っていられなかったように、死を待てなくなるのだろうか。


小雨が降った日、いつもの猫がいつもの場所にいなかった。
「あの猫はこの小雨を知っている」そう思ったらなんだか涙が出た。

そういうことだ。


***


Tさんと夜の散歩に行った。急にムラっとして甘えたくなって、自分のおっぱいにTさんの腕を挟むように絡みつかせた。
こういうときのTさんの瞬発力はすごい。すぐに路地裏に引き込まれ、抱きすくめられてキスされた。ギリギリ捕まらないであろうところまでで退散、すぐに帰宅し、玄関先でめいっぱい犯された。
わたしが「甘えたいだけ」ならこういうことはしない。違いの分かる男だなぁと、うっとりする。