Kさんがわたしを「サキちゃん」と呼ぶ練習をし始めた。ラインでそう呼ばれる(打たれる)だけでキュンキュンする。
わたしが友人と会った帰り道とKさんの仕事帰りの時間が合ったので、お互い歩きながら電話をする。
たどたどしく「サキちゃん」と呼ばれて道でうずくまるほどに嬉しかった。人は感情がマックスになると、身体を変形させる。
わたしたちはなぜ一緒の部屋に帰らないのだろう、と自然に思っていて少し怖くなる。じわじわ自分の狂気がにじみ出てきたな。

「信頼しているし不安はない、自信もある」と面と向かって人に言ったのは初めてだった。それも、こう言うことで牽制したりプレッシャーを与えるなどの意味はまったくなく、自分の気持ちを言葉にした結果だ。
こんなことがあるんだな、と不思議に思う。
わたしとKさんはこれからもきっと大丈夫。
望むとすれば「わたしの名前をちゃんと呼んで身体を触って」ということだけだ。

全身麻酔で手術を受けた。
あとから聞いたところ「麻酔おもろ~この感じを文章にするのはなかなか難しそうですね~はははは~」と笑っていたらしい。まったく覚えていない。
看護婦さんが「いろいろ考えずに眠りに入ることってなかなかないですから、貴重ですよね」と言っていて、あぁなるほどなぁ。
術後、痛み止めの点滴が必須だと言われていたがまったく痛くない旨伝えると「はぁ?」という顔をされた。

誰にもこの手術の件を話していない。
最近毎日やり取りをしているKさんにも話していない。
麻酔から目覚めなかったらどうするつもりだったんだろう。

***

Kさんが「君のことを友達に話したよ」と言う。
わたしが犬ならうれションしてる。
なんて話したのかは教えてくれなかった。

 

おっぱいがものすごく張っているな、と思っていたら予定より一週間早く生理が来た。

毎月股間から血を流すのがデフォルトという自分の構造に「へぇ、やっぱそうなんだね?」という感情が伴っていない相槌みたいな感想が浮かぶ。

いつか自分のお腹の中に誰かがいると分かったときにも、わたしは「へぇ、やっぱそうなんだね?」と思うんじゃないだろうか。

Kさんと、わたしがむかし付き合っていた人の話をしていた。

「別れてよかった〜」

「向こうもそう思ってるよ。みんながそう思って生きればいい」。

「次会うとき履歴書書いて持ってきて、面白そうだから」とか本気で言ってくる気狂いのくせに、ときどき、正論の向こう側みたいなものに気づかせてくれる。

Kさんのそういうところが好きなんだと思う。

仕事でミスが発覚し、久しぶりに頭をフル回転。
どうにか一日で事態を収束させたが、頭の毛根が焼き焦げる匂いがした。
わたしがしている仕事は「臨機応変」が求められる、というか「臨機応変」しか求められない。
基本性質としては変化を恐れるタイプなのに、この仕事をしていることを不思議に思う。これには父の影響を感じざるを得ない。
各方面にお詫びの電話やメールをし、同僚たちに「本日分の社会性は終了しました」と告げ、事務所の端っこで甘いものを食べた。

***

Kさんとのやりとりは続いている。
大喜利じゃなく、普通のやり取りもするようになってきた。
「1回しか会っていないのに、なんでこんなに懐いてくれるかねぇ」
「1回しか会っていないから、もっと会いたいだけですよ。なんだかんだで、Kさん相手してくれるし」
「好きなんだろうなぁ」
「お、わたしのこと好きですか」
「割と」
「うん、で良くないですか? スクショの邪魔しないでもらっていいですか?」
「スクショにはなんの効力もないです」。

「今はまじめな人ほど先のことを考えて悩んじゃうだろうね」
「わたしはKさんに会える日だけを考えているよ、かわいいでしょ」
「あなたのその熱が怖いんよ、熱しやすく冷めやすいんじゃないかって」。
お、本音が出た、と思った。思ったが、ここで一から説明するのも野暮な気がした。
「これが平熱です」
「……病気やん!」。

順序良い恋愛というものが存在するならば、わたしはそれをしたことがない。

赤べこを作る工房の人の言葉。
「ほんとさりげなく(置いてあるもの)、埃をかぶっていてもいいと思うんです。民芸品ってそういうもの。美術品とは違うので」。
心に深く深く深く刺さって、泣いてしまった。
こういう美学(というか何と言ったらいいんだろうか)に、本当に弱い。
それプラス、わたしは"分かりやすく大事にされたがり過ぎなんだな"という内省が生まれ冷や汗も出た。
美術品と民芸品、どちらが上ということはないし、一番目につく場所にいるあの子も、いつの間にか存在し埃をかぶっているあの子も、等しく愛おしいのは分かっていたはずだった。
うまくまとまらないけれど、この言葉は一生心に残ると思う。
赤べこ買おう。