点滴を受けてからもなかなか体調良くならず、とうとう下血し、病院へ。
食べない方が良いもの、飲まない方が良いものを聞く。
「柑橘は食べないでね」
「あ。やっぱり酸っぱいものは良くないですよね」
「それもそうなんだけど、あのつぶつぶをね、一個ずつ消化するのは相当大変なことだからね」。
改めて言われてぞくっとした。

添加物、古い油を摂ると覿面に調子が悪くなるので、出来るだけお弁当を作って持っていく。
コーヒーも我慢している。
健康なまま消え死にたい。

湿気がすごい。少し腰をひねれば身体から水滴が染み出そうだ。
その水滴を小瓶に詰めて【東京23区/女/40歳/2020.7.18】とラベルを貼り、ひとつ300円で売る商売をしようかな。
場所は河原、つげ義春の漫画みたいに。そんなことを考えながら眠った。

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久しぶりの晴天。仕事。
お昼を買いに外へ出ると、全員の頭の上に「洗濯しなくちゃ…」という吹き出しが見えた。
仕事場階下にMさんが来ていることを知り、覗きに行く。推しに会えた気持ち。

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明日は美容院へ行く予定。
ここ何ヶ月かは仕事に行くかスーパーに行くか美容院に行くか病院に行くか、だ。
Tさんにラインする。
「明日美容院に行くよ」
「お、もうそんな経ったか」
「うん、1ヶ月弱だね。ちょっと長めキープしようと思う」
「ほうほう」
「長めの方がセックスが似合うでしょう」
「何度も言うけど、僕それ分かんない。いや、言っている意味はよく分かるんだけど実感は伴ってない」
「Tさんの歴代の恋人はみんなショートカット?」
「ん~、そんなことないよ」
「なにか共通点ある?」
「それがあんまりないんだよねぇ」
「……つまらん!!!」
「サキは?」
「もれなく天然パーマ」
「マジか」
「マジだ」。

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買ったときはどう着ていいか分からず放置、
しかし好きなテイストであることは間違いないので捨てずにいた服が、数年経って大活躍、ということが割とある。
最近着ているのはそんな歴史があるようなものばかりだ。
その中の一着が、破れた。
薄い素材だということもあって、単純に縫うだけでは明らかにおかしくなってしまう。
霜グレーのフェルトを三角形に切り、カラフルな刺繍糸で縫い付けた。
それを見たTさんが「センス抜群な貧乏な家の子じゃん!」と言うので笑った。


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毎年6月7月は、体調が悪い。気圧気温湿気、全てに振り回される。
自分の内臓相手に不戦敗する気分。
いつも行く病院が臨時休院だったので絶望しつつ別の病院へ行く。
待合室で座っていることもままならず、受付で「どこか横になって待てるところはありますか…」と言った結果、手術室に通された。
手術室という名のついた、明らかに「そういうスペース」で、カラムーチョの段ボールに入った緊急用のトイレや電気毛布、アムウェイの紙袋に入った懐中電灯など、見どころ満載だったが、堪能できずに残念だった。
点滴のあまりの効果に「コスパ良すぎでは」と思う。冷静になればコスパが良いわけはない。


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仕事のことで上司にいろいろメールで質問する。
文面からはっきりと「細かいこと言ってないで黙って働けや」というのが伝わってきて、
これがプライベートだったらどんなに落ち込むことだろう。
絶対に黙らない。働くからには黙りません、という気持ち。


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●●●が夢に出てきた。
わたしたちがしたことといえばセックスだけだが、生活を共にするところが細部まで再現されていた。
起床即涙が止まらなくなる。
2018年の年末に会ったのが最後だが、●●●を思い出さない日はない。

上司が入院・手術をし、休職している。
わたしから見ても明らかにおかしな状態だったし、病院でも「なんでこんなになるまで来なかったの?」と呆れられて即入院・手術だったらしく、
あぁ、こんなにも自分に無頓着な人が、部下たちに気を配れるわけないんてないよね、と妙に納得してしまった。
「大丈夫大丈夫」と有給は消化せずサービスは残業しまくりで仕事を続けることが、
部下たちに同じように働くことを強制してしまうかもしれないということなんて、想像出来るわけがないのだ。
こういう形のパワハラもある。

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遅番出勤の日、髪をセットする時間があった。
前髪にアイロンをし、ワックスをつけて整えた。明らかに気分が良くて笑ってしまった。
ちょっとしたことで気分が変わることや救われることがあることは40年も生きていれば重々承知している。
ありがたく受け入れるけれど、わたしは欲張りなので、小さな幸せも大きな幸せもすべて欲しい。

友達とご飯を食べた。
脳にも口にもフィルターをせずに会話をしたのは久しぶりで、下品なくらい元気になった。
件のドラマ『スイッチ』の話もできた(友達は見ていなかったので無理やりブルーレイに焼いて送りつける)。
あらすじを聞かれて、緊張せずに話せたとき「わたしはこの人のことを信頼してるんだな」と感じた。
無理にうまく話そうとも思わなかったし、退屈されたらどうしようと焦ったりもしなかった。
こういうことで急にハッキリすることがある。

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美容院に行った。
前髪を少し薄くしたいのでサイドは伸ばす。
相変わらず髪色を褒めてくれる。
「美容師として本当にここまで褒めるのはどうかと思ってるんですよ、でもめちゃくちゃいい色だしうまいです」
「ありがとうございます。でもタイミングがつかめないだけで本当はあなたに染めてもらいたいんだよ」
「自分で染めるの飽きた~!ってなったらでいいですよ」。
商売下手かよ、と笑った。

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芍薬を一本だけ買った。
あっという間に紙みたいに咲いてしまう。


キャロットラペをサンドイッチにするときにと思って買ったオリーブの瓶の蓋が開かないまま、体感で3年が経った(実際は2週間弱)。
Tさんに開けさせるわけにはいかないし(手首に何かあったら仕事に差し支える、それでも開けようとすることが分かっているので基本隠しておく)、
ネットでいろいろ調べてやってみたが全く開かず、未来になんて期待できるわけがないだろうという気持ちになる。

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湿気にすべてのやる気を、魂を持っていかれた。
天気とラインのやり取りで察したTさんが、コンビニのショートケーキとポテトチップス、ネギトロ巻きを持ってやってきた。わたしが調子が悪いときに欲するもの3点セット。
ふわっと抱きしめて、たくさんキスをしてくれた。
説明がとても難しいのだけれど、こういうときのTさんのハグやキスには偉そうな感じが微塵もない。上からの「よしよし」「いい子でちゅね~」みたいな感じがない。
これがなかなか難しいということを、わたしは知っている。
「もうちょっと眠る?」
「うん」
「横で仕事していい?」
「うん、いて欲しい」
「うん」。
タオルケットをふぁさぁと掛けてくれて、わたしはとても良い夢を見た。

テレビ朝日のテレビドラマスペシャル『スイッチ』を見た。

あるシーンが素晴らしいなぁと思っていたら(前回日記参照)、監督がすでに言及していた。

以下転載。

✳︎

「10分くらいの長いワンシーンで、本番中に阿部さんがアイスペールの氷を松さんのグラスに入れようとして上手くいかないというちょっとしたハプニングみたいなことがあって。カットかけようか迷ったんですけど、この2人だったらどう乗り切るか見ていたら、確かにこの2人のキャラクターだったらこうするだろうなという説得力のある動きで乗り切ってくれて。さりげない動作なんで普通に見ていたら自然に見落とすほどにやってのけてるんですけど、その自然さがすごいと思いました。

✳︎

そしてぐるぐると考えた。

そもそも「テレビドラマ」の中に【舞台的な要素】を発見して「素晴らしい」と思うのは、どういうことなんだろうか、というかどうなんだろうか。

監督が言うような「この二人だったらこうするだろう」が、役者の中でも前提となっていることが前提、という世界で成り立っているのが「舞台的」なことであるとして、台本以外のハプニングを排除し成り立つ世界が「ドラマ的」ということなんだろうか。

昔からよく言う「映画は監督のもの、ドラマは脚本家のもの、舞台は役者のもの」ということについて、の話になると思う。

(テイクを重ねられる、編集ができるからこそ)「そうならざるを得ない、それを良しとする」としていることに対して、「(それを)超えたなにか」に感動するというのは、なんだか違うような気がするというか、傲慢な気がするというか、なんというか。

引き続き、考えてみたい。


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パン屋さんでサンドイッチを買ったら「よく手を消毒してから食べてくださいね」「暑くなってきたから早めに食べてくださいね、保冷材も入れときますね」などなど、言葉は悪いがクソバカ丁寧に説明を受けた。

「全員にここまで説明するなんて大変だなぁ」と思っていたら、同僚は何も言われなかったとのこと。

「手づかみでばくばく食べそうだったのでは」「子供だと思われたのでは」などと言われたい放題だったが、マジでなんでわたしだけ……。

Tさんにこの話をしたら大爆笑で、その理由も皆目見当がつかなかった。